新独坐法

参禅の思い出

私は、信じる心の支え 参禅に巡り会い 無事長い航海を終えて今母港に戻ってるような心境です。思えば僧の子として出家を目指してたDNAのお陰かと。。。

無言の門下 この雲版を鳴らし、合図します。

30年余り、夢中の修行で挫折を繰り返し、ついに70歳を目前にし体力、気力の障害をきたし特に尿が近く、一座の途中2回は坐を離れる事に、日に4座しますから8回あまりで離脱の羽目に、参禅では坐禅の修行中ではとんでもない事として許されません。

どうするか? 坐布の上でたれ流せと言う指示です。とても出来る事ではありません

自分を捨てて参禅してるつもりですが、最低限の尊厳は残ってます。

トイレ我慢できないなら来るな という無言の最後通告です。

禅は若さ、体力のある人向けで、人と協調できない人は排除される これには、矛盾を感じないわけにはいきません。

今は一般の人はほとんど、あぐらもかけません、生活様式の変化です。

基本の坐禅は、正式に足、手を組み、姿勢を正す。どれ一つ欠けても警策棒です。

結跏趺坐(作法としての足を組む)は血行を止めるので障害(エコノミー症候群)。

脳に血栓が回り脳障害も起こる 等医者が警告してる事をさせるのはどうか?

真夏の作務(草引き、屋内外の掃除、竹塀の修理)、いくらでも仕事がありますが。

6万坪の境内で作務を3-4時間休憩なし、水は飲んだら終わり、いくらでも飲みたくなり倒れてしまいます。今は水分補給が叫ばれてますが、修行では飲んでも倒れ屋、飲まなくても倒れます。厳しい修行は果たして心静かに自分と向き合う事が出来るか という疑問が残ります。

坐禅は、障害持つ人、車椅子の方、寝たきりの人、忙しい一般人、ビジネスパーソン、職業人過疎地で住む人達、あてはまる全地球の方たち は受け入れる事は出来ません。

禅は伝統を守り後世に伝える事 に執着してるあまり、現代の悩みを持つ人に信じられる心の支え をいつでも、どこでも、誰でも 与えられるよう配慮がされてません。   

一般人、ビジネスパーソンの日常ですぐ役立つ事が、禅のイノベーション であり、私自身、信じられる心支えを失って独坐重ね会得したのが、ストレス、パニックをコントロールし、心の平穏を取り戻す 新独坐法 です。

えてして襲う不安定な生活に、取り入れてもらったらいかがでしょうか。

坐主 芝暗生

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