新独坐法

損させない話 ①

一般生活では、まず経験できないかと思いますので、UPします。

禅林(修行の寺)で辛抱して修行を続けてる内に老師から一目置かれるようになり、

ある年の正月、老師が出版される禅の集大成の挿絵を描けと、人間国宝になってる画家が弟子にいるのにとびっくり、私にとっては大変光栄で、なおかつ、責任重大なリクエストで大変緊張しました。期限は一年後でした。

歌舞伎の黒塚、鬼婆伝説に出てくる老婆を描け と言う ご指定でしたので、まずストーリーをよく研究し理解し、まず頭にイメージしました。これはごく普通の流れです。 物語の大筋は老婆が大事な人の病気を治すのに妊婦の肝がどうしても必要なので、生きてる妊婦をバラバラにして肝を取り出す、鬼の形相した女 の姿です。

私は、鬼になり切って、闇に包丁を持ち鬼気迫る姿、足元には前に殺した人骨の上に立つ老婆を描きました。 毎週仕上げて、一月二月三月と持って行き廊下に並べますが、あかん!

の一言で画を見もしません。4月5月6月と同じように続きますが、相変わらず、見もしないであかん! ですぐ陰寮(自室)へ引き上げられます。7月8月9月となるとさすが描き疲れ、画も3百枚超えていて、何がだめなのか言っても貰わないと、もうお手上げです。質問はご法度の世界ですからどうにもなりません。、恨みました、引き返すも出来ず、先にも進めず、失意のドン底です。

そんな折、禅の仲間の女性の一人から いくら鬼婆でも、動機には一理ある召使い、気品も備わってるはず 気持ち悪い、人でない鬼婆だけの先入観から離れられず、いくら千枚描いても、永久にわしの欲しい画はかけない と言っておられたと聞きました。

先入観や執着、拘り、分別を取る為に修行してるのにと、試しておられるんだ と、ハッと気が付きました。10月11月12月画風を変えて廊下に並べます。様子はまったく変わらず、見もせずにあかん! の一言 とうとう年の暮れに締め切りとなり、出版社に画が渡されました。 完成した本を恐る恐る見ると、なんと!正月に提出した最初の一枚が載ってました。

慈愛

本番の修行だったんですね。一年間付き合ってもらい、物事に拘るな、ひとつの事をひたすら追求してみろ 一芸は万芸に通ず、 拘らないのですから見ても見なくても言いわけですし、一年間同じ画ばかり描いてたら誰でも、筆さばき、リズム、墨のにじみやぼかし、濃淡、粗密、は目をつむってても、描かけるようになります。一つ事を追求する事の大切さを学ばせてもらった貴重な私の実話です。一般社会人やビジネスパーソンは、禅の経験はできませんが、

禅の教えを基本に現代人が日常に間に合うように整合させ、誰でも、何処でも、何時でも、経験できるようにしたのが 新独坐法 と復活現代禅画、です。

禅のイノベーション 新独坐法 坐主 芝暗生

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