新独坐法

自由と不自由の感受性

やっと各ご当地の動物園がオープンしたらしい。

日頃ずーと思ってた事は、動物園の猛獣たちは果たして幸せなんだろうか です。

人間も同じ、資産家の子に生まれ、何不自由もない身分から、夢、目的を持たない生活をずーと続けられてる。知り合いに何人かいますし。皆さんもきっと心当たりあるでしょう? 

資産管理のパーキング、邸宅の留守番、ぐらいで親の眼に届くところにいて保護されています。幼児、介護される親も同じです。自由がないという点で共通です。

人は一生苦労無しで楽して生きたいと願ってます。羨ましいと、そうでしょうか?

その考えでは、そのまま打たれ弱さにつながります。

自由と不自由の関係について

猛獣はたとえサバンナで命がけで生きるとしても、弱肉強食の世界が猛獣にとって本来の生き方では・・・  生きているという証です。動物園の中では生きてると云えない見せる為に選ばれた訳で生き方を選べない、不自由で気の毒な動物です。

人も同じ、苦節を舐めながら進化向上して生きます。決して同じ日は無いと言う事です。

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、よどみて浮かぶ うたかたは

かつ消えかつ結びて、世の中にある人と住みかと又かくのごとし

と教えに在るように、波乱万丈で生きる人の人生や嵐の中を突っ切っていく漁師、アスリートの戦い あらゆる職業のプロは自己の限界に日々挑んでいます。

耐えられず心身が疲弊してしまっても、マラソンハイ、クライミングハイ、武術太極拳がはドルフィンハイ、など 脳内にモルヒネ麻薬ハイになる楽しい記憶が残り、自己を呼び戻し立ち直らせ、再度挑んでいきます。 受ける艱難辛苦はいわば成長過程では当たり前と言えます。

新独坐法は潜在する気、霊力を身に付け、信じられる心の支えを見つける作業です。

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