新独坐法

損させない話 ②

禅林(修行の寺)での話は、それこそ何千年の歴史の中で伝わった、聞いたり読んだりの話は無数に存在します。

しかし教化別伝きょうげべつでんと言う、本質は目や耳では教えられない、修行によって悟れと言う掟です。

忙しい、余裕のない一般社会人には修行は無理です、しなくても日頃の生活に役立つように解りやすくするのが、禅のイノベーション新独坐法 です。その意味合いから一つ、戒律や決まり について考えてもらう私の実体験を述べます。

最も禅僧らしい禅僧と言われた老師の元、参禅させていただいておりましたが、厳しい規律、戒律はどこの寺でも存在します。 ここは、その中の一つ、早朝の作務では、6千坪の境内の手入れでは、老師の傍に近寄るべからず 樹木の剪定が老師の日課で、作務を通して黙想されてるから絶対に姿を見せたらいけない! みなさんは当然その規律を守り、遠く離れて作務をしてました。

でも、老師は以前に脳溢血で倒られたと聞いてましたので、規則はどうあれ、様子がわかる距離まで近寄り、自分の姿が見えないように隠れて作務をしました。

当然先輩から怒りを買い、行ったらいけない破門だ!自分らも責任を取らされる と凄い剣幕でした。しかし、私はもし老師が又倒られて手遅れになったら、どうする? と言う思いから破門覚悟での行為です。 時々樹木の間から様子を伺ってると、老師が一生懸命剪定鋏で木を叩いてます。癇癪起こしてる感じでした、それ見たかと先輩からの声がきこえそうです。

私は蛇か何かでたのでは?と 行ってみたら太い幹が一本邪魔して、上部がうまく揃わない為でした、鋏ではだめです。諦めきれない苛立ちで今顔出したら八つ当たり食らう と思いましたが原因が解ったので、物置まで走り、のこぎり、なたをつかんで、引返し老師の足元に置き、速攻逃げました。災難よけの判断です。処分は受けるつもりでした。

作務が終わり、坐禅して、提唱(法話)の折、老師は皆さんを見渡し、ベテランの修行者に、

何年修行してるんだ! 戒律戒律とバカの一つ覚えで修行の進歩がまるでなく、何年修行しても無意味だと。明言されました。 戒律、決まり、法律を時として破るとても難しい問題です。日本人の性格の特徴は、規則は順守、辛抱耐える、根性論がビジネスでも教育の場でも常識です。もっと柔軟に考えないと、国際社会でおくれを取りませんか?     それこそ政治面で国民の安全、財産を守るといっても、無法国家に対応できるか と言う事です。

禅の法話で、檀家から預かった釣り鐘の製作費を 住職がお金に困りはてた人に相談受けて貸してしまった 修行僧全員から総スカンをくらい絶体絶命のピンチ、そこで住職は目の前の人を先に救わないで何が仏教かと諭した というのがありますが、常識で判断できない事も起きるという事です。裏解釈して自分の都合よくするのは論外です。

その考え方を反映させたのが、新独坐法です。YouTube動画に公開しております ので参考にお願いいたします。

禅のイノベーション  新独坐法  坐主 芝暗生

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