新独坐法

声無きを聴く、姿無きを視る

参禅して修行がある程度進むと、第一問目の公案(千問中の一問)を頂きます。
隻手の音声(片手の音)を聴いて答えよ!が臨済禅の特徴です。

修行者はその答えを求めて難行苦行を耐えて必死に考え抜きます。

公案はそう簡単には解けないように、古来より研究され尽くされてます。

事実三年でも早い方で10年20年一生かかっても解けない人もたくさんおられます。

頓智でもクイズでも、引掛け問題でもない、問いの本質であり、
学んできた知恵、知識、経験、勘、学問、情報、等素晴らしいものを、
すべて捨てて無にしないと答えは出ないようにできてます。

つまりそんなものは全く役に立たないと言う事で、
返って邪魔になる。産まれたての赤ん坊にならないと答えは出ません。

我々の日常生活では、音や形、うわべのものを受け入れ、
いつの間にか執着して、あたかも真実のように錯覚しています。

マスコミの大きな声や美しいもの、儲かるものに、
影響されてすぐ信じて振り回されがちです。

それが必ずしも本当に、真実を表しているとは限りません。、時に罠であったり、騙しであったり嘘であったり、策略であったり、これが現実です。

私は中村天風先生の教えを学んでいて、釈迦の悟りにも匹敵する。
ヒマラヤの滝の音しか聞こえない秘境で声無き声を、聴いて悟られた。有名な話です。
隻手の音声 も分別心を無くするまで朝鍛夕鍛修行し続け、
無になって初めて答えに近づきます。

香りは聴け、お湯は揉め、画は心に感じよ、その道の一芸を極めた人こその言葉です。

一般社会生活のなかでは難しい事ですが、表面に出てこない意見や考え、
形として出てこない埋もれた秀いでたものに、
本質を求める様に思考を変えてみると真実が見えてきて、

世の中の情報はいかに愚かで、表面的であるか驚かされます。

隠されてる本物の真実を見つけるのは、私の独坐法での呼吸法と気の導引法です。
その気はどこから来るのか、大地、宇宙から入る頸力から生まれます。

瞑想して日常稼働してる領域から、より深層にある潜在域に心を巡らす
頭のアイドリング状態 を作る事です。到達するのは

虚空清浄の世界(執着も分別もない)であり不可思議、無量大数の領域です。

この場所では潜在してる能力や霊の力が湧いてきて、
アイディヤ、ひらめき、強い意志、底力を受けとれます。作家、研究者、画家、発明家、が成果を出す唯一の領域です。

私も慣れない執筆に挑戦して、いくら集中して考えても纏まりません。

独坐して黙想すると摩訶不思議、一、二、頁分が教えてもらうように纏まります。
見えない力を実感します。

そしてその恩恵を受けた人は、
姿が見えないもの すなわち、自分が信じられる心の支え を得る事になります。
真っすぐ成功へと進んでいけます。

禅のイノベーション、新独坐 坐主 芝暗生

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