新独坐法

偉人のエピソードは過信するなかれ

禅の修行は、昔の武家、画家、剣豪、他必須の修練だったみたいで、そのエピソードも無数に現代に伝わっています。

雪舟だったか、坐禅して無の境地に入ると、ネズミが数匹膝の上で遊ぶと、私も、座って瞑想自己暗示に入ると、スズメが足元で遊んでる経験をしてます。

殺気が消えてるからでは?

卜伝剣豪が箸で飛んでるハエをつかむと言うエピソード、私も師匠の信州小谷村で滞在してる時、都会の二回りくらい、大きなハエが逃げる様子もなく、飛んでも緩い、少し前に箸を構えて、摘まむとできます。 昔では何でもない事かもしれません。

もちろん修行者の凄さはいまの比ではないと思いますが、昔はできて、今は到底できない事も多いのではないでしょうか? 面白いエピソードに惑わされず、本質を追求するべきと思います。

歴史の本も、限りなく元書に近ずかないと、何人の手にも渡った翻訳は意味がなさない

外人の修行者は、昔の名僧の厳しさのエピソードを聴き、2日も3日もずーっと座ります。

老師はそれを見て、我々を叱咤します。

ところが作務の時は、草引き、便所掃除、洗濯、庭掃除、道具の手入れ、畑の糞尿捲き廊下の雑巾がけ、などの雑務は嫌がってしません、それは違うぞと、そして出て行きます。 

だから禅寺は外人の出入りが多いのです。

何か勘違いしてる偏見です。

私は、木魚はどうしても笑ってる歯のない老人にしか見えません(笑い)

禅の教えとは、座る事だけではなく、日常すべてに対し本質の教えがあります。

一般人にとっては、毎日の生活で襲ってくる苦悩に、タイムリーにクリヤーし、心の平穏をキープする必要があります。

何時でも、どこでも、だれでも が自由に簡単に対処できるように工夫したのが 禅のイノベーション したのが新独坐法 です。

YouTube動画に詳しく図解しております。

       芝暗生

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