新独坐法

現代の心の支えとは?

昔は信仰は信じる心の支えになってもらった,お返しに檀家として寺を支えていました。

今は、人々の価値観、思考、生活様式が全て変わって、仏教そのものの教えを必要とされていません。

米一粒一粒魂が宿ってるので粗末にするな、の教えが、食べたくなかったら残せと子供に教育して、そして捨ててます。賞味期間決め切れた食品はスーパー、コンビニで大量にゴミとなり捨ててます。

物は、もったいない感覚より捨てて買い換えたらいいのが常識です。

知らない人に挨拶はするな、人が困ってても、事件も通報したらまず自分が疑われる。

親切があだになるわけです。

仏教は伝統に加え尊厳を次世代に引き継ぐべく、時代に合わせ変える発想がなく、上から目線です。

私のように修行の出来てない者には、真理は不変どんな時代になっても守るものと断言します。

庭の紫陽花
庭の紫陽花

今や庶民の悩みを聴いて早く、解りやすい新興宗教にとって代わってます。

禅は人の為(救われる)に有るのであって、禅の為に人が要る訳ではない。

この意味をよく吟味してみてください。

私の禅のイノベーションは不可欠だったのです。

心身を自由に開放し、瞑想自己暗示することで悩みをコントロールする方法で、辛さに耐えて乗り越える修行と真逆です。日々の生活の中で間に合うように新独坐法 が誕生しました。

                    坐主 芝暗生

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