しばしば人生の中で、誰もが失意のどん底に陥り、思考停止状態になる事を強いられます。
私自身も、そんな人たち共、どんな思いで参禅し立ち直ったか、修行僧や宗教家でなく、一般人であり、現役のビジネスパーソン、警察官、教授たち 社会人の実体験に基ずき克服できる教訓です。
禅の持つ神秘【救われる何か】を求めて崖っぷちに立たされた人々が門をたたきます。
大黒柱を失い途方に暮れたウイドウ、築いた会社の倒産に直面、余命2か月宣告された大学教授、馘を宣告された社員、会っていても言葉もなく萎えて生気が失っています。
私も同類です。
個人の都合等、意に介せず、、、坐禅と提唱(経典)の始まります。慣れていない坐の形はもう苦痛でしかありません。
拷問以上です。拷問は命は取りませんが禅の世界は、まじで【坐布の上で死ね】と古来受け継がれてきた難行苦行の修行法です。ですから容赦しません。
来てほしいといったわけでなく、かってに来たんだから、いやならすぐ出て行け!
どん底にいても、かろうじてプライド、人間の尊厳が踏みとどろかします。
当然脱落者も出てきます。
結果その時だけでも、苦痛で一時でも悩みからは離れられているという事になります。
寝ても覚めても悩みから逃れられない状態から問題から「離れてる」
これこそが解決へ大きく舵が切れるようにになったわけです。ドン底をとらえ、どん底を認識できたお陰です。
修行となれば20年30年と続ける事が原則ですから、必死で続けますから、より好転してきます。
そこで悩みの本質はどう解決したか?
提唱(経典)!坐禅と経典はセットです。皆さん悩み抱えてきてるようですが、その悩み とやらを目の前に出してみろ! と
いよいよ自分の悩み聞いてもらって救ってもらおう と しかし、一旦寺へ入ったら口はきいたら行けない戒律でなり立っております。
皆がどう思うと勝手、悩みの個々の事象を聴いてるのではない、悩みの本質を出してみろ!と聞いてるわけです。
後でわかってくる事ですが、悩みには実体がなく諸行無常、もろもろは常ならず変わるものだ、という事。そこでなるようにしかならない、開き直り精神が芽生えます。
事実、ウイドウは一年後若々しく生き生きし、倒産社長は息子が跡次ぐと言い出し、かえって立派な会社に生まれ変わりました。がん宣告の教授は日一日一日充実して過ごされ2年の延命、馘宣告の社員は起業し馘のお陰だと喜ばれ
しかし、好転もすれば暗転もします。裏目に出ても、裏目の裏目は表、いつかは変わります。
このように禅の教えは素晴らしいものです。しかし、現代の一般ビジネスパーソンは忙しく、仕事に追われていて禅の体験を持って解決するのは不可能です。
一方悩みは日常すぐ、セルフコントロールしながら前に進まないと致命傷になります。
それだけ現代は日常において余裕がないわけです。
そこに必然的に生まれたのが、禅のイノベーション、であり、ストレス、パニックをコントロールし、心の平穏を取り戻す訓練法 【新独坐法】を創設しました。
YouTube動画 新独坐法で詳しく説明しております。
日々のお役に立てれば幸いです。
坐主 芝暗生