新独坐法

あげる(与える)事で得るもの

画題は 雲水の 托鉢行脚と感応するとの同意語とは。雲水と在家(一般人)が接する意味は
    お布施をし、一方受ける雲水は法施として布施を通じて双方が修行します。

托鉢行脚と感応する同意語とは

禅語: 和光同塵(ひかりをやわらげちりにどうず)

現代意訳

修行僧は、禅林にこもり仏に近づく為の難行苦行をして、一般人とは遠い存在であり、
無縁のものと感じてます。

下界に降り在家と接する(托鉢)には、隔たりを感じさせないように
僧は、修行による徳や知恵を隠し、塵芥にまぎれた世俗と同化させないと調和できません。
決して力や身分を誇示するものではありません。

和光同塵が出来ないと托鉢は無意味です。
在家は自分の財の一部を放つお布施(財施とも言う)で、
浄財は執着心を絶つ為の修行にあたります。一方受ける僧は法施と言うお布施です。

お布施というテーマでお互いが修行をします。
だからお礼の言葉や挨拶はいらないのです。
これが本来の姿で不思議でもなんでもありません。 

貧しいお宅をたくさん回るのは、貧しい家庭は、
自分は貧しいから出来ないと、他人に対し一切施しをしなければ、
結局貧しさから抜け出せない。

布施をすることで意識の転換を促すわけです。与えないと得る事はありません。
富は、うまく使う事と与える事で集まってきます。

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復活現代禅画 ~托鉢行脚と感応する同意義とは?~

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