禅の教え

何をさておいても、夢中になれるものありますか?

画題は、僧が一つになって梵鐘をつく!その意味とは?

知恩院の鐘楼の引き初め風景ですが、寺の行事にはみんな深い意味合いを含んでいます。
それぞれ僧は、修行の力量によって、悟りに至るレベルの差が現れます。
私は、禅語の一行三昧だと思います。一人に限らず大勢が一つになって、行いに集中する。

僧が一つになって梵鐘をつく!

禅語= 一行三昧(いちぎょうざんまい)

現代意訳

何を行うにも、その事のみに集中してその事と一つになって、
かつ、その本質を味わって打ち込む、
無心であれば無意味な行いも雑念も生まれる余地がなくなります。


僧が、梵鐘をつく事にだけ集中して全員で一つになる。そして鐘の音が鳴り響き渡る。
やがてその鐘の音は消えて何も残りません。祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり なのです。

チベット仏教で、大勢の僧が長期間にわたって、砂で大曼荼羅を床に描きます。
見事しか言いようのない巨大作品です。が、
出来上がったら後は、すぐ掃き清めて何も残しません。

評価や残す意味も何もなく
曼荼羅とみんなが一つになって無心で打ち込む、それそのものが行であり、意味があるのです。

我々日常これをすれば手に入る、何事も効率を考えて行動すれば成果が上がる。
要領が悪いとバカにされる。果たしてそうでしょうか?
 
それでは必ず身体が強張り、心に緊張がおきてきます。

人間国宝の各技術、世紀の発明、研究、各種競技の最高峰、その栄光は、
損得、勝ち負けを超越しその事になり切り、一行三昧にして長い期間を耐え抜いて
初めて、勝負の女神が微笑んでくれるのではないでしょうか?

一度、私利私欲を離れ、
時間を気にせず夢中になれる事を持ってみたらどうでしょうか?

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#三昧 #禅語 #禅画 #独坐

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