禅語は、柳は緑花は紅(やなぎはみどりはなはくれない)
意訳=柳は常に緑で花は紅色で咲いている。世のすべては在るがまま
存在する。と言う真理の言葉です。
今回の現代禅画は、私の20数年参禅した修行寺の作務の一コマです。
画題は修行で、息をするように苦も飲み込む 古巣での思い出を画にしました。
現代意訳は、
修行の中で作務も苦行の一つですが、作務と一つになり切ってると、辛さが乗り越えられ
やがて気にならなくなります。
苦もあるがままに受け入れられると、それが当たり前になります。息をするように。。。
社会生活も同様で、苦しんでいても、苦をあるがまま に受け入れられた時
どのような因果においても、誰でも何処でも何時でも、そこに安住できます。
ありふれた当たり前の普通の物事の中に、尊いかけがえのないものが
秘められてると気ずかされた時、周りの人や物事に対しておろそかにできないぞ!
と言う気持ちで一杯になります。
そのような人は、更なる苦行のチャレンジができる人です。
安住出来なくて、もがいたままでは、次には進めません。
波乱万丈に生きる人、荒海に生きる価値を見出す漁師、
より高度な技に挑戦するアスリート、過酷な環境にチャレンジするフアイター
今を在るがまま 受け入れ、そして次に進めるわけです。
復活 現代禅画 ~修行で、息をするように苦を飲み込む~ 【私の修行寺の作務の風景】
関連参考ブログ
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