禅の修行では、どこまで修行が進んでるのかを、老師はいろんな角度や手法でチエックして、先の指標とされてます。一般のテストのようなものです。
私の描いた鷹の画見て、鷹の次の行動をどう見えるか? 答えよ。
在家の人の答えは、 1、獲物を狙って舞い降りるたところ
2、飛び立とうとして処
3、獲物をジーと動かず狙ってる処
4、何時でも行動が起こせる準備してる
こんな答えが主に帰ってきます。
修行者の答えではアウト! 修行が出来てない事になります。鷹に囚われてる証拠。
禅も立禅も頭では理解しないし、本質の理解はできないのが公案なのです。
例えば、隻手の音声を聴け(片手の音を聴け)を聞いて答えよ
空手にて鍬頭をとり、歩行して牛車に乘る (手を使わずに鍬を耕し、歩いて
牛車に乘って帰る) 答えを示せ 赤字が公案でチンプンカンププン
の問答でしょうね(笑い)これを命がけで追及してるのです。
この例は千あるうちの、ほんの序盤の公案 です。
鷹の画の答えは、言葉では無理で、考えてたらもっと出ません。修行の力で反射的に示せるようになります。!
私の答えは、鷹が来たも去ったとも。もともと鷹もいないし画そのものも無い【拘り執着心が無ければ物事の実体が無い】紙を丸めてポイ!それが答えです。
立禅でも、いかに心身の力が抜けてて、瞬時にパワーを放つ、いまも終着点のない鍛錬が続いております。しかし一般人やビジネスパーソンは、本分を生きる為に一芸の奧義を極めるとか、余裕も時間もない為、修行に挑戦するとかは無意味です。
坐禅、立禅をイノベーション をして、新独坐法として改め、新坐法は何時でも、何処でも、誰でも、簡単に自由に現代の生活に生かせるように、工夫しております。
詳細はYouTube動画、新独坐法 からか、総集編上、下 をご覧ください。
新独坐法 坐主 芝暗生