今回は、雪の竹林と雪を散らす寒すずめをテーマに描きました。
禅語には、竹有上下節(たけにじょうげのせつあり) 竹林の竹には、
節目、節目に竹がどんどん伸びて行きます。節にはれっきとした上下の区別があり、
それぞれの働きと領域を守ってます。生きて行く上にも、それが本来の姿です。
人間は平等平等だと叫び、世の中は差別、区別はないのが正論だと主張してる人が多い。
しかし現実はそうは甘くなく深刻です。だから戦線恐慌と主張の争いは絶えません。
まず竹に上下があるように、はっきりと上下関係や区別は存在します。
社会生活でも先輩後輩、親子供、男女、先生生徒、取り締まる側受ける側、看護側される側。
それぞれが独自の領域を、守って社会がなり立っています。
みんなが並列平等でなく、上下関係の区別が存在します。その意味では、
みんなが自分の本分を、抱えていると言えます。どう判断するかは個々の問題です。
違いを認め、自分本来の立場に立って進まないと、一生自分の迷いから逃れられません。
見分けがつかない蔦だけに、瓜のつたに茄子はならない との例え話があります
助けてもらったり、迷惑かけたり、指導を受けたり、治療受けたり、育ててもらった恩、
それらを平等と思っていたら、世間からつまはじきにされてしまいます。
働き者と怠け者、善人と悪人、平等と言うなら到底納得いきません。
障害者や被災者、孤児には平等扱いではなく正当に区別し保護する必要があります。
役割の区別も考え方も必要です。違いを認め理解して行動する事で世渡りがスムースにいくと思います。
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