禅の教え

挨拶こそ、~お近づきの決め技~

禅語にもありますが、あまりにも日常過ぎて、スルーしてる行為がこの挨拶です。

挨拶の「挨」は積極的、好意的に近ずく意味であり、挨拶の「拶」は相手の懐に入る、と言う意味になりますが、相手の事を知る有効な手がかりになるばかりでなく、自分の事も知ってもらいたいと言う意思表示になります。 初対面では挨拶の印象が最初の突破口になります。

教育の場では知らない人に挨拶されても口をきいたらダメですよ、と教えてます。無視するほうがいいに決まってるという解釈です。大人も一緒で煩わしくて一々挨拶されたくないのです。

地下鉄で席を譲っても、車椅子の方が駅員にお世話になっても、忘れ物を知らせてもらっても拾ってあげても、掃除してあげても、ほとんど丁寧にお礼の挨拶してるのを見かけた事がありません。 よくて目も合わさず頭を下げる程度です。プライドが高く頭を下げられない、ええかっこしいと煩わしさが原因です。面倒で関わりたくないのが本音なのです。

職場でも、おはよう! お疲れ!お先に! ありがとう!ビジネス上でもよろしくお願い! ご検討を!お世話になりました! これらすべて仕事しながら下向いたままでします、上っ面の言葉だけでのやり取り、しっかり相手に向いて目を見てあたまを下げる挨拶になっていないのが現状です、する方もされる方も不自由がなく当たり前で気にもなりません。

逆に私の挨拶への拘りの方が古い考えでしょう と全く相手にされません。しかしどうでしょうか こんな効果的なコミュニケーション方法があるのに損してませんか?

しっかり挨拶すれば、声の調子、様々な表情などから、元気がないとか、体調がどうか、機嫌がどうか 相手のいろんなことが解りますし。こちらからは誠意が伝わり、印象に残ってもらえればいいだけです。 多少の縁が結ばれた事に繋がります。

人間関係を滑らかにしてくれるばかりでなく、相手との距離が近ずき 新情報が共有できる。

たまたま田舎の村に入った折り、遠くの田んぼから老夫婦が深々と頭を下げ挨拶してくれました自分の心も満ち足り、安らぎを与えてくれます。習慣になれば、今度は自分自身に対しても、元気か? しっかりやってるか? 自己チエックする挨拶が可能になります。

登山や巡礼では、すれ違う人みんなに笑顔で挨拶します。心が晴れてしっかり目覚めてるからです。 今から試してみませんか?

求道家  芝暗生

ブログ  生かせ!袖振り合うも多少の縁 を参考に

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